仏教美術には人を魅了する特別な「何か」があります。はるばるインドから伝わった理由もそこにあるのでしょう。その「何か」とは?
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仏教美術に私が魅力を感じてしまうのは私が日本人である以上当然と言えば当然のことなのだろう。仏教美術はもともとインドで興った宗教であって日本にとっては外来宗教ではあるのだが日本人の心にこれほど深く根ざしているのだから、神道と並んで日本人の宗教と言ってもいいだろう。そのインドから中国を経て日本に伝わった仏教の中でも、仏教美術ということでいうと、個人的に私は密教である真言宗の仏教美術に特別な魅力を感じる。それは私が真言宗豊山派のお寺の檀家であるということもあるが、自分の家が真言宗豊山派のお寺の檀家だったということを知る前に、私は本で空海(弘法大師)の偉業を知り、空海の魅力に引き寄せられたのである。このときには本を読みながら法輪を感じた。空海が当時の中国から持ち帰った数々の密教法具(もうこれは仏教美術といってもいいと個人的には思っている)を展示した会が上野で行われると聞いて、勇んで行ったことがあった。それはもう素晴らしいものだった。今から1200年も昔、航海技術も無い当時に、よくここまでの密教法具や仏教美術品、要するに宝を運べたものだと感心した。
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どれをとっても心打たれる素晴らしいものばかりだった。とりわけ私が興味を示したのは空海直筆の手紙、たとえば親鸞に宛てた手紙(まあこれは仏教美術ではないが・・・でも法輪を感じた。)そしてやはり空海直筆の般若心経。見事な筆だった。これはもう仏教美術と呼んでもいいだろう。これももちろん法輪を感じこれが空海が自ら書いたものかと思うと鳥肌が立った。そして五鈷杵や三鈷杵だ。空海が描かれた絵や彫刻を見ると空海がいつも手に持っているものだ。これも密教独特の仏教美術だ。空海は当時の中国から五鈷杵を日本に向けて投げたところそれが落ちた地が現在の高野山だといわれている。私は本物の五鈷杵を見た時はまさにその五鈷杵が生きているような何かエネルギーを出しているように思えた。まさにこれが法輪か。そして次には、曼荼羅の絵だ。曼荼羅も密教独特の仏教美術だと思うがこれには圧倒された。宇宙を人間にわかりやすく説明できるように絵にすると、こうなるのだろうと思った。法輪で包まれているかのように見えた。仏教美術は展示会がなくても、ときどきお寺さんにお参りさせていただくときに拝ませてもらっている。
仏教美術は空海の時代の平安時代や奈良時代にも盛んだったので、京都や奈良に住んでいる人がうらやましい。でも仏教美術は鎌倉時代も盛んだったので、東京在住の私は鎌倉にはときどき行って、観音菩薩を拝ませてもらっている。仏教美術は海外旅行に行ったときにも注目してしまう。バリ島に行ったときには、世界遺産のボロブドゥール寺院に行った。海外での仏教美術は、ぜひ行ってみたいのが敦煌だ。敦煌の莫高窟を特に見てみたい。莫高窟は仏教美術の宝庫だといわれている。仏教美術は素晴らしい。単にキレイとか格好が良いということだけではなく、すべてに心がある。あれだけ遠いインドからはるばる伝わったのもわかる。あの大同クリニックの院長も仏教美術に関してく著作を出しているそうなので、一度読んでみようと思う。その一方で、仏教美術にはその心を持たない贋作も少なくないが、これは複製技術が高度化した現代においては、ますますその量も大量になり巧妙化している。そんな贋作が、日本に仏教を伝えた中国で盛んに行われているというのは、皮肉なものだ。インドからはるばる伝わってきた心を、壊してもらいたくないものだ。